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鬼龍院 翔の貧乏時代エピソード「ボンビーガール」より

鬼龍院 翔さんの貧乏時代の話をテレビでやってましたね。

感想以下に書いてみます。

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ゴールデンボンバーでは全楽曲の作詞・作曲を手掛け、

バイオリンやピアノなど一通りの楽器は演奏することができ、

ライブ中に行われる演劇の脚本までも手掛けてる

多才なアーティスト鬼龍院 翔さん。


下積みの時代にはやはり色々と苦労されたようです。


鬼龍院さんは中学時代から音楽以外に笑いが好きだったため、

学校を出てから、東京NSCに在籍していた時期があり、

池田一真さん(現・しずる)と「チョコサラミ」と

いうコンビを組んで活動していました。


しかし、NSC卒業後お笑いの世界では成功できないと感じ、

すぐに芸人から方向転換してバンドを始めました。


勿論、この時期はバイト(貧乏)生活です。


東京は日暮里から走る舎人ライナーで一番降りる人が

少ない足立小台駅から歩いて18分のアパートに住んで

自給900円のレンタルビデオ店でバイトしていました。


当時の鬼龍院さんの同僚によると、余計なことは喋らず

真面目に仕事をする青年だったそう。客が少ない時に

作曲などをしていたそうです。


食事に関しては、少しの肉ともやしとご飯を炒めた

もやしチャーハンが一番のご馳走だったそう。


この時期の鬼龍院さんは、池袋サイバーというライブ

ハウスを拠点にして音楽活動をしていましたが、

客がゼロで、ステージ代3万円が丸々赤字になって

しまったこともあったそうです。


しかし、諦めず自分でCDを作って手売りしたり、音楽活動を

継続したことで、やがて恵比寿にある音楽事務所に声をかけら

れて所属することになりました。


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事務所に所属したといっても最初からお金があるわけでは

ありませんから、地方でのライブの時などは、自分で車を

運転しての移動です。


その時の食事は、車の中でご飯を炊いて振りかけをかけ、

それにサービスエリアの無料のお茶をかけて食べるという、

実に質素なものだったそう。


そんな食生活をプログにアップしたりしていたものだから、

ファンがライブの時によく食材の差し入れをしてくれるよ

うになったということです。これは・・・確信犯だね(笑)


このような苦労を重ねて、やがてゴールデンボンバーは

ブレイクするわけです。




見た目はアレですが、中身は硬派なんでしょうな、

鬼龍院さん。

かつてはバイト時代に知り合った彼女がいたようですが、

ブレイクしてからは、もてるだろうに浮いた話もあまり

ないですよね。


相当な努力家です。

凝り性でもありますね。

だからこそブレイクできたし、紅白3年連続出場という

快挙もなしとげられたのでしょう。


これからも鬼龍院さんに注目です。


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